Letter to Y. On Language 5 February 2018
15/11/2019 14:50
Dear Y.,
1. 言語の定義(私の場合、未定義)から言語研究の方向決定へ
(1)
私は日本語の「研究」ということばはあまり使わないのですが、ここでは言語について考えることを簡単に言語研究ということばで示しますと、言語研究の目的 aim と言語研究の応用 application ということになるかと思います。ここで言語とは何か,ということになりますと、一般的には、言語は、人間がその心の状態をかなり精密に伝達する一方法、というようなことになるかと思います。ここでは通常、人間が話し聞くことばが想定されています。いわゆる自然言語 natural language です。しかし私は、みずからの言語研究 research on language において、こうしたいわゆる言語の定義を行っていません。私の研究はもちろん、自然言語を含みますが、もっと広範囲なものです。しかも私の考えでは、言語を自然言語で定義しても、あいまいなものにしかならないと、思うからです。私はですから、自らの研究を、言語学とは呼ばず、英語でも linguistics、philologyなどの用語を用いていません。これらの用語は、自然言語を中心にしているからです。私の場合、もっと広範囲となりますので、ただ、research on language などと書いています。それで、混乱などは起こらないかということですが、私の場合、書かれた内容で、私が言う言語の状況が(多分)わかりますので、それ以上の、あいまいな定義は用いないことにしています。用いるのは主に、数学ですから、その公理、定理などによって、築かれている世界が私示す言語ということになります。数学はギリシャ以来、しばしば5000年の歴史などと書かれますが、長い歴史の中で、洗練されてきた結果を有しています。よく確率や統計の分野で、この結果は1億回検証したから、多分大丈夫だなどと使われますが、それでは1億1回目に検証したしたとき、不具合が出るかどうかは、保証されません。
(2)
数学は絶対的な保証がなければ成り立ちません。それが証明 proof ということになります。しかし「完全な」ということばは普通用いられません。Kruto Godel が「数学に内在する方法を用いて数学の完全性を証明することはできない」という不完全性の定理 Incompleteness theorem を1928年に証明してしまっているからです。今では岩波文庫でその翻訳も出ていますが、私もその全容は今もよく理解はしていません。証明も幾種類かで読みましたが。外部から見ると不安のようにも見えますが、数学自身は、別にこうした定理があっても揺るぎません。
(3)
次にたとえば、言語において、私が距離ということばを使うとします。距離ということばそのものを、自然言語で厳密に定義することはかなり難しいでしょう。言語空間などということばも使われたりしますが、空間を定義するのは、自然言語ではやはりかなり困難でしょう。言語の変化などということばもよく使われますが、どこからどこへどのように変化するのか、変化するとしたらその実体はなにか、実体がなければ、その変化ということそのものが無意味になります。またそもそも変化とはなにかなどと考え始めると、もはや収拾が着かなくなります。Wittgensteinの有名な言葉に、「哲学は誤解の歴史だ」というのがありますが、言語の曖昧性の上に、砂上の楼閣のようなものを築いてきたようにも思えます。基本的に言語を言語で定義しようとしても、困難が生じます。委細は省略しますが、特に1970年代以降、数学基礎論の分野で進展があります。昨年夏に、竹内外史という数学基礎論の日本のPioneer が死去しました。私も彼から多くを学びました。数学セミナー、今年2月号が彼を特集しています。私にはすごくおもしろかったです。
(4)
このようなわけで、私は言語のBasicなものを、言語で記述することはしなくなりました。こう言うと簡単ですが、私の場合、ここにたどり着くのに、20代から40代くらいがかかりました。1970年代の終わり、多分1978年の夏休み(教員でしたから)31歳、今も新宿にありますが、東京言語研究所の研究応募論文に取り掛かったことがありました。別に賞を得たいとかということではなく、そういうことをきっかけに、自分の課題を確認したかったからです。内容は言語における文とは何か、ということで、現在考えていることの準備段階のようなものを自分なりにまとめようとしたわけです。方法は、数学の集合論と数学基礎論を用いようとしました。結論的には、書き始めるとすぐに自分の中の当時の集積では全く自分が目指すものが書けないことを納得し、この計画は放棄されました。ちなみに欧米では数学基礎論は数学の一部門よりも、論理学の一部門に位置づけられています。私もその方がよいと思います。
(5)
この時中止したのはなぜか。私の言語と数学に関する知見が少なく、能力も低いということは当然ですから、それ以外を挙げます。#1数学の集合論を主に用いようとしたが、当時のその分野の数学の成果だけでは(多分)複雑な言語の状況を処理できない。
#2数学基礎論は論理の展開を追うものであって、言語そのものの根源に迫ることは(当時の成果では)できない。
#3言語全体は広大で、私の中で言語のどこに焦点を当てて論を進めるのかが、確定していない。などがおもな中止の理由でした。
(6)
私は1979年32歳で和光大学に戻り、言語学の千野栄一と再会し(初めて会ったのは1969年)、そこでおもに1920年代のプラハ言語学サークルの状況を詳しく教えてもらいました。その中でもSergej Karcevskijの存在が圧倒的に私の中に入ってきました。千野が、最晩年の著書『言語学への開かれた扉』の中でただ一人天才と呼んだ彼は、言語の二重性を指摘しました。言語はやわらかく柔軟に外界のものを吸収するが、同時に強固で頑丈な構造を持っているというのです。この矛盾するような二重性の中に、言語の本質があるとしたのです。これは大きく言えば、意味論の一部をなすのですが、この意味という言語において最も重要なものを、当時の、そして今もなお、難しすぎるとして、棚上げし、もっと簡単な音韻等の精緻な構築に向かいました。例えば1950年代以降の、アメリカ構造言語学などがその代表でしょう。それ以降のChomskyの生成文法も意味は除外し、文法の構造を探りました。
(7)
意味は言語の最も重要なものの一つであるにも関わらず、この100年余りの言語学において、常に除外されてきました。第二次世界大戦後、アメリカなどで一般意味論という分野が一時拡がりますが、これは言語が社会の中でどのような役割を果たすかというような、Macro なもので、やがて社会学や文化人類学の中に吸収されていきます。依然として意味そのものは未開拓の分野でした。私の場合、哲学的なものは、Wittgensteinの鋭い哲学批判(検証)をすでに踏まえていますので、これにKarcevskijが加わることによって、ほぼ準備が整ってきました。すでに対象は漢字および漢字を中心とした中国近代のきわめて厳密な言語学(小学)で進めることを考えていましたので、あとは書記方法としての数学の自分なりの洗練が課題となりました。
(8)
幸いに1980年代ごろから、数学が飛躍的に発展し、幅広い分野に応用される時代がやってきました。岩波書店はほほ30年近くをかけて、数学の叢書を、入門、基礎、発展という順に整備してきました。共立出版も伝統的に叢書を持っていましたので、やはり様々な数学の現代的な成果を出版し続けて、現在も進行中です。或る数学者(上野健而・京都大)が、対談の中で、「今はやっと数学が様々な分野の問題を記述する蓄積ができましたね」と話していることに、象徴されますが、私が1970年代に中止したことを、今度は豊潤な数学の方法を自由に選びながら、自分の問題を表記できるようになりました。ここに哲学・Wittgenstein、対象・王国維などの小学、目的・Karcevskij、方法・Algebraic Geometry 代数幾何学,とすべてがそろいました。1980年代中ごろです。
(9)
1986年、大学の研究生を終え、定時制都立高校教員をやめ、石南文庫をつくり、ほぼ言語研究に専念できることとなりました。お母さんの理解があったことがもちろん一番大きかったですが。私の所得は激減しましたが、中国語講座、歴史講座、仏教講座、日本語講師等々で、最低限の所得を確保しながら、現在に至ります。1985年に網野善彦から神奈川大学への講師の話しがありましたが、この時、私にとって大学は、すでに私が進むmainのfieldではなくなっていました。
(10)
1986年以降、中国文献、仏教文献等を中心に読みながら、Karcevskijの方向を目指しましたが、2002年肺炎で青梅総合病院に入院したとき、偶然にも集中的に考えることができましたので、王国維の論文をもとに、言語、私の場合、漢字に内在する時間の問題をまとめたのが、On Time Property Inherent in Characters, 言語に内在する時間という性質について、というものでした。この時期に、Macro な観点から私の言語研究の方向を探ったのが、のちにManuscript of Quantum Theory for Language というものです。ともに、2003年3月、長野県白馬に家族でスキーに行ったホテルで、皆がスキーをしているときに集中して最後のまとめをしました。懐かしいです。話は飛びますが、仏教文献の奥深さを知ったのもこのころです。大正新修大蔵経で読み進めましたが、仏教終末期の文献は、特におもしろく、例えば、世界の螺旋構造などが紀元4,5世紀ごろに明瞭に示されています。現代生物学の状況などと対比すると興味深いのですが、安易な類比は避けるべきでしょう。
2.言語研究になぜそこまで魅力があるか、そこからの発展や応用があるのか
(1)
Baseには私の理論好きがあります。高校時代に最も惹かれたのは理論物理学です。私の場合、湯川秀樹の中間子発見の方向ではなく、朝永振一郎の超多時間理論の方でした。その全容はかなり難解ですが、微積分、微分方程式の知識があれば、何とかなります。私はのちに自分なりに整理して、言語の時間性についてまとめたものがあります。今考えれば、ですから、理論物理から言語への転換はかなりの必然性があったようにも思われます。この間にDirac という明晰な物理学者の存在に気付いたのは大きな収穫でした。このイギリス人については先年ノーベル物理学賞を受賞し、亡くなられた南部陽一郎もエッセイの中で書いています。
(2)
この理論好きとともに、私は根源的なものを求める、哲学の方向も好きでした。高校時代には曖昧でしたが、のち1970年代に、私の20代後半、Wittgensteinの翻訳が次々に出て、それらを読む中で、哲学という遺産の根本的な検証を行った彼の方向を考慮する中で、哲学の曖昧性は避けるべきで、別の方向を求めるようになりました。その結果最も有効と思われたのが数学でした。数学は高校時代から好きで、3年のとき、物理の運動についてその解を求めようとしたとき、最も有効なのが微分方程式でしたが、高3の微積分の知識では解くことができず、これは大学以降になるなと思ったことが印象的です。
(3)
20代は教員をしながら、少しずつ数学を勉強していました。ここで神田で、フランスの数学グループ、Bourbakiに出会います。これがその後の私の数学の方向を決定しました。Bourbakiは、その趣旨は誰でも明瞭な出発点から現代数学の頂点まで行けるというものでしたが、精密な代わりに膨大で、私はその存在を横目で眺めながら、細々と勉強を続けました。
(4)
1の(7)で述べたように、1986年から2003年までで、Wittgenstein, 王国維、Karcevskij、Algebraic Geometry とそろいましたので、やっと動き始めることができるようになりました。この研究の魅力は、a.まずどんなことをしても完成などないこと、要するに無限であることが最大です。私は有限のものにはあまり興味を持ちません。内容的には、b.言語は人間の大きな用具ですが、精緻であるとともにしばしば誤解をも生む厄介なものでもあります。それはWittgensteinが精細に述べています。しかもc.言語の意味は、ほぼ100年以上攻めることもあきらめられてきた、難攻不落の孤城です。つまり、無限、精緻, 難攻不落と三つそろえば、未踏峰を目指す登山家とほとんど同じでしょう。誰かが言った、なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ、というのは永遠の名言です。
(5)
私の立場は以上のようなものですが、そこから何か現実の社会における発展または応用があるかということについては、ふだんほとんど考えませんが、強いてあげれば現在一つのことが考えられます。それは医学への応用です。別にそこまで私が行なう訳ではありませんが、その理論的な方向だけは数学的に可能だと現在の段階でも思っていますし、そのための準備も応用を主に目指しているわけではありませんが、現在進行中です。私のSite, Geometrization Language の中の、Preparatory(準備的)というジャンルがそれです。 Geometrization Language とは「幾何化された言語」というような意味です。
(6)
まず幾何化とは何かを、簡単に示すことが必要でしょう。1980年にThurston が3次元閉多様体が8種類の幾何構造に分解するという予想conjectureを提出しました。1980年代前半にHamiltonがこの予想をある種の方程式として定式化させ、2002年から2003年にかけてPerelmanが最終的に解決しました。さらに簡潔にすれば、3次元の図形は8種類に分類でき、その定式化も可能だ、というようなものです。
(7)
ここからは私の推論となります。医学の分野では、今は様々な図像解析 image analysis がなされ、病気の特定や病気の進行段階などを特定するのに用いられています。この解析の判断は、医師の目視に依るわけですが、画像が多様化し、その量も膨大になる中で、現在では統計的処理を施して分類し、いくつかの類型に分けて、細かな判断が行われるところまで来ているようです。もしこの統計的集積を幾何化によって分類することが可能となれば、その図像は数学的に定式化され、定式は自然言語に変換されることとなることによって、図像解析は精密であるとともに正確に共有されうるものとなるでしょう。
(8)
すでに述べていますが、私はそうした応用を目指して、言語研究を行っているわけではありません。2の(4)で示したように、私は未踏峰へのあこがれを持ち続ける一人の登山家に過ぎません。高峰のはるか下方に小さなBase Campを単独で作っただけです。こうした登山家は世界に無数いることでしょう。しかしこうしたすべての比較や逡巡は、碧空に聳える未踏峰を見たときにすべて消えるのです。そこに山があるからです。
(9)
当面の結論を急ぎましょう。2の(6)(7)等で示した図像などを、私は言語の領域に組み入れて考えています。絵文字Emojiも入り、LATEXも入ります。私はこうした言語の領域を、広い言語、Broad Language と命名しています。この中にはエジプトの象形文字 hieroglyph、中国古代の象形文字、すなわち甲骨文Jaguwenも入ります。こうして考えてくると、BC1400年以降の古代中国の甲骨文がいかに重要であるかが想像できるでしょう。漢字は古代からの象形を現在まで途絶えることなく発展的に継承してきた文字体系であり、言語の重要な一分野となるものです。ですから私はこの漢字を最初に研究の対象としました。
(10)
私の言語研究の発展も以上で大体見えてくるでしょうか。しかし私は別に発展などほとんど考えたことはありません。私はただ次のBase Campを築くために、荷物をより少なくして歩き始めるだけです。高いところにのぼるには、荷物は少ない方がいいのです。わたしの荷物は、漢字と数学があれば十分でしょう。酸欠を防ぐために、中国の小学と漢訳仏典の遺産がときに必要でしょう。エネルギーの補填のために、Linguistic Circle of Prague が大きなよりどころです。未踏峰にどこまで近づくことができるかはわかりませんが。
5 February 2018
T. A.
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